名刺のいろいろ
勤め人は誰でも名刺を持っています。
初対面の人に会うと、ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を相手に渡して頭を下げます。先方も同じようにして無事に名刺交換を終われば、もうお互い知人です。
この“儀式”は、面識を得るために欠かすことができません。なぜなら、自分が何者であるかをはっきりと明かし合うからです。名刺が世間の門を通り抜ける手形になっていると言えましょう。
何者であるかは、名前の脇や上に記された肩書きで知ることができます。たいていの場合それは、所属する組織・部署とそこでの職分・地位などです。
このごろは仕事の世界も大きく変わってきましたので、肩書きを見てもどんなことをしているかわからないケースもあります。とくにカタカナだと首をひねりますが、相手が笑いながら説明してくれて納得です。
カタカナといえば、もう一種類の肩書きではこれが多くなります。プロデューサー、コンサルタント、デザイナーなど、専門職の名刺です。もちろん、弁護士、会計士といった漢字の士(サムライ)職名もあります。これらの専門職肩書きはひと目でわかるし、組織や年齢と関係なく通用します。
問題は、ふつうの勤め人が退職した時です。さーて、名刺はどうしたもんだろう。ハタと当惑します。予期しなかった難問です。
組織を離れたのだから所属名はありません。といって職名を名乗れるほどの専門分野もないのが平均的でしょう。
名刺なんかなくていいや。と思っていても、初対面の人が名刺を出すのは、在職中と変わりません。あ、どうも、と困ってしまいます。
では、どうするか。自称で通す。カクテルが作れなくてもバーテンダーとか。もっとも「バーテンダーと言ってんだー」などとバカにされたりします。
職名を新設する。例えばある雑誌の編集長は辞めたあと、私立編集者なる肩書きの名刺を作りました。私立探偵みたいで面白い。
名前と住所たけにする。基本パタンですが、これは意外に大物の名刺に多いのです。天下の○○だぞ。態度が大きいとみられるかも。
というわけで案外ムツカイシものです。いっそ、発想を根本から変えたらどうが。名刺といえば仕事の世界。それを生活の世界に切り換えるのです。退職したら、仕事は半ば趣味くらいに考えて、大上段に構えない。日曜大工が好きなら、住所の上に△△工房とかぶせるとか。旅行マニアのある男は、ヨコ長の左上隅に時遊人と入れました。背景が空色のぼかしで、軽々と飛ぶ生き方をアピールしています。
アラさがしの醍醐味
所に大きな魚屋さんはありますか
中をぐるっと一周できるくらいの店があればラッキーです。この広さなら魚介類の種類が豊富ですし、お目当ての品にめぐり合うチャンスも多くなります。
ここでお目当てとは、アラのことです。
魚は、丸物、切り身、刺身、干物などに分類されていますが、アラはそのどれとも違ます。主要なおろし身をとったあとの、切り落とし、頭、骨などの総称です。いわば残余の切れ端なので、安価なパックとなって店のすみっこに置かれたりしています。
狙いはそこです。
目をつけたら、トンビよろしく真一文字に舞い降り、品定めをしましょう。
鮪のアラ(ない店多し)。不ぞろいながらサク様のが何枚も折り重なって、赤身にトロ身ものぞいています。筋は気にせずに。あとですき身どりした残りを煮込めば驚くべき珍味の一品となるからです。鮪のアラがいいのは、いろんな味の変化を楽しめること。ブツの比ではありません。
鰤のアラ。これはもっと安価で出ます。骨とその周辺をぶった切りにしたワンパック。大根を一本求めて、鰤大根が定番です。一回分の量は十分にあるアラは、骨の間の肉を掘り出して食べると、実に複雑にして微妙な滋味。切り身では味わえないものです。よく煮込んだ二回目は骨もホロホロの歯ざわりになります。なお、カマならぜひ塩焼に。
鮭のアラ。これには頭が入ります。酢に漬けて絶品となる氷頭を思い浮かべてください。ああいうコラーゲン質たっぷりの頭を中心とする鮭のアラはもちろん粕汁にしましょう。野菜も存分に入れて栄養満点。ツワモノぞろいのアラ汁でも横綱級に入ります。
鯛のアラ。これは品格がワンランク上がります。というのは、ご飯のおかずより酒の肴、つまり料理屋のメニューにのるからです。頭なら兜煮といって高級感さえあります。実際、それは優雅な杯にふさわしい風味です。
魚の本体より捨ててしまうような部分、そのグチャグチャした゛迷宮"の中に美味の秘儀は隠されていた。これは暗示的です。
人間の場合、アラさがしと言えば、欠点ばかりをウの目タカの目で洗い出すこと。決していいイメージはありません。
しかし、潜んだ欠点をこそさがしあて、失敗や挫折の意味合いを噛みしめることで、物事の奥深い真相と自分の至らなさに気づき、より賢くなれるのではないでしょうか。
常人には理解し難い天才の秘密にしても、その性格や活動に精神病理学的に分け入り吟味する病跡学(パトグラフィ)という方法さえあります。
アラさがしの味わいはまた格別なのです。
マイ・フレンド
「袖すり合うも他生の縁」
よく知られたことわざですが、多少の縁ではないことに注意しましょう。他生とはたとえば前世のことです。道で袖がすりあった知らない人も、実は深い因縁でつながっている、という仏教にも通じた愉しのことばです。
そんなバカな、と今日なら思います。なにしろ、袖すり合うも殺傷の縁、となりかねないこの頃のことです。
知らない人はコワイ。だから、声をかけられてもついて行くんじゃないよ、と子どもに言い聞かさなければなりません。
人づき合いを避けようとする若者がふえているのも、こうした世相と無関係ではないのかもしれません。
最近は、知らない人ではなく、よく知っているはずの親子、兄弟、友人間での殺傷事件も珍しくはなくなりました。
人間不信。
この不毛の荒野でも、少しの勇気と寛容さがあれば「友あり、遠方より来たる」のユカイな出会いに気づくはずです。そう、遠方といえば海外に世界は広がっています。
言うまでもなく、海外は知らない人ばかりです。言葉も習慣もちがいます。加えて、日本では見られないような犯罪も多いのです。
海外へ旅立つ場合は、旅行会社から事前にそのへんの細かい注意説明があります。くどいほどの念を押されるのは妙に接近してくる者は避け、子どもに警戒を、という点です。
男性ばかりの研修ツアーでNYへ行った時のことです。自由時間に数人で、まだ健在だった世界貿易センターのツインビルへ上ってみることにしました。屋上へ上がるエレベーターの前には行列ができています。仕方なく並ぶと、すご傍に黒人の男の子がいて、しきりに話しかけてきました。いかん、そう思って無視したのですが、仲間の一人が「ん?」とそちらへ腰をかがめて耳を傾けました。「なんだって?」と訊いたら、「いや、上の眺めはすごいよって言うんだ」。
あらためて黒人少年を見ました。バッグ代わりか紙箱を小脇に抱え、目がキラキラ。いやーゴメンゴメンと頭をかく気持ちでした。
観光ツアーでイタリーへ行った時のことです。ローマの朝、ホテルの前で写真を撮っていたら、中年のずんぐりした男が近寄ってきて、手マネでこっちの方がいいと誘導します。自然について行ったら、やおら掌を広げてみせて、エメラルド色の石が数個。ノーッとひと声、ホテルへ戻りました。
出発前のロビーで、誰かが肩に手を・・・ふり返ったら、件の男がニコニコ顔で「マイフレンド」。思わず吹き出してしまいました。
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