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第五回 
プロ野球開幕! といえば思い出す
長嶋茂雄vs.金田正一の対決
(文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸
協力:SPORTS 21

パリーグに続きセリーグもペナントレースが開始され、今年もプロ野球の球春まっさかりとなりました。ところで日本のプロ野球史上、もっとも印象に残っている開幕といえば、1958(昭和33)年4月5日でしょう。そう、立教大学を卒業した長嶋茂雄が、初めてプロ野球の打席に立った日です。

1954年6月生まれのわたしは、その時3歳と10か月。記憶に残っている最初の出来事が長嶋のデビューだったように思います。もちろん、プロ野球の試合だけでしたら、こうも記憶がはっきりしているわけはないでしょう。

というのは、長嶋のデビューに合わせて父がテレビ受像機を購入、我が家にテレビがやって来たからです。テレビ放送が開始されたのが1953年頃かと思い ます。当時のテレビ受像機はおそらく父の年収の何倍もした高価なものだったでしょう。

父は名古屋製糖という砂糖屋さんに勤めていました。そのころの砂糖は塩と同じように専売品だったそうで、かな
り貴重な物資でした。戦後の復興期であった当時は、「三白」といわれた砂糖、パルプ(紙)、セメント関係の会社は、現在でいえば商社とか銀行関係といった花形企業だったようです。

わたしの父は借家に住んで外車に乗るような人で、ともかく新しもの好き。「長嶋を観るために一つテレビでも買うか」てなもんだったのでしょう。ともかくテレビが来たのは幼心にもよく憶えています。

当時のテレビは真空管を使用しており、スイッチを入れてから画面が現れるまで30秒ほど時間がかかりました。そして、ブラウン管の前には薄いブールーのガラス板。それはブラウン管保護のためか、画面を大きくみせるための拡大鏡なのか、よく分かりませんでした。そしてカーテンのような布がつねに画面の前 に垂れ下がっており、テレビ鑑賞の前にうやうやしく上に上げられるのが常でした。

その長嶋選手。当時はプロ野球と肩を並べるほどの人気があった東京六大学野球で通算ホームラン記録8本を樹立、鳴りもの入りで巨人に入団しました。開幕戦の対戦チームはセリーグのお荷物といわれた最弱・国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズの前身)。ところが、その国鉄には日本球界を代表するサウスポー金田正一がいたのです。

後にジャイアンツに移籍し通算400勝の大記録を達成する金田ですが、国鉄時代は打線の援護が少なく、力投のわりには勝ち星には恵まれませんでした。それでも14年連続20勝なんて、とてつもない記録を作っている大投手です。

しかも金田は名古屋の亨栄商業を貧乏のため中退してプロ野球入りしている苦労人。サラブレット長嶋なにするものぞ、というプロ野球先輩の意地が後輩・長嶋に対して静かにメラメラと燃えていました。マスコミ報道も二人の対決を煽りました。

開幕のスワローズの先発は当然、エースの金田です。対照的なキャラクターの長嶋と金田の対決は、小次郎vs.武蔵の「巌流島の決闘」にも、信玄vs.謙信の「川中島の合戦」にも例えられる騒動になりました。はたして1958年4月5日、場所はジャイアンツのホーム後楽園球場。3番サードで先発した長嶋と金田の対決が実現しました。

大きく振りかぶる金田は左腕がら豪速球を繰り出します。後年、金田は、「長嶋には全部まっすぐで勝負。バットで空を切る音が、これまでの選手とは全然違っていた。これは大物だと思ったよ」と語っています。


ご承知の通り長嶋は金田の豪球に一歩もひかずヘルメットが飛ぶほどの空振りで4打数4三振でした。後々まで語られるダイナミックな三振で語り継がれています。

「あの時は真っ向勝負。下手にバットに当てよう、なんて思わなかった。それが金田さんに対する新人のわたしの礼儀でしょう。でも、あれでプロは甘くないと教えてもらいました。原点は、あの4三振です、はい」と長嶋は試合後のインタビューで語っています。

もし、金田と長嶋の初対決が、例えば「セカンドゴロ、フォアボール、内野安打、センターフライ」みたいなもの
だったら、3歳10カ月の幼児の記憶には残らなかったと思います。あのけれん身のない空振りこそ、新しい時代の到来を告げたのです。長嶋茂雄が「記録より記憶に残るプレーヤー」といわれるのは、たぶんプロデビューの時からの宿命だったのでしょう。

その後、長嶋の天覧試合のホームラン、不滅のジャイアンツ九連覇などで名古屋育ちのわたしは、熱狂的なジャイアンツファンになってしまいました。銭湯に行けば「3番」の鍵は人気でした。「巨人、大鵬、卵焼き」なんて言葉も生まれました。

現在、病気にうち克ちリハビリ中の長嶋茂雄。一日も早い現場復帰を一番強く祈るのは、あの金田との対決で衝撃デビューを飾った長嶋茂雄を知る、昭和29 年生まれのわたしよりも上の団塊の世代といわれる人たちでしょう。

まさに長嶋茂雄は永遠なのです。


白髭隆幸(しらひげ たかゆき) プロフィール

1954年6月9日、愛知県名古屋市に生まれる。 早稲田大学ラグビー部ファンの同人誌『荒雪』(1974〜78年発行)でスポーツジャーナリストとして活動開始。講談社より『熱闘!早稲田ラグビー』 『熱闘!大学ラグビー』を上梓。その後、講談社で編集者として勤務。
『高校サッカー年鑑』(1978〜)『ギネスブック・オブ・オリンピック』 『AJPS年鑑』『スポーツシリーズ』などを手掛けた。
1990年にフリーランスのライター、エディターとして独立。 北京アジア大会、アルベールビル、バルセロナ、リレハンメル・オリンピックではJOCの公式写真集に執筆。
一方、ビジネス分野でも鄭夢準『日本人に伝えたい』(日経BP社刊)、ジャック坂崎『ワールドカップ巨大ビジネスの裏側』(角川書店)のプロデュースに参加している。2002年は徳間書店刊『英雄神話』(隔週年24冊発行)のスタッフ・ライター&エディターとなる。

日本スポーツプレス協会理事 国際スポーツプレス協会会員 日本オリンピックアカデミー会員 
日本サッカーライターズ協議会会員 筑波大学非常勤講師

(主な取材歴)
オリンピック ・・・カルガリー、ソウル、アルベールビル、バルセロナ、リレハメル、アトランタ、長野
サッカーワールドカップ・・・ メキシコ、イタリア、アメリカ、フランス、韓国・日本
ユニバーシアード・・・神戸、札幌、バッファロー、福岡、大邱
アジア競技大会・・・ソウル、北京、広島、バンコック、釜山、青森
東アジア競技大会・・・釜山、大阪、マカオ
ラグビーワールドカップ・・・ニュージーランド・オーストラリア、イギリス・フランス
高校総体・・・福島大会いらい26回、国民体育大会・・・宮崎大会いらい27回(連続)

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